言葉を、勝手に、大切におもうひと

▼▼文章の書きかたの解説書を読むのが好きなのは著者と言葉の関係性の話を聞きたいところがあるからだ、なんてふうに昨日の日記で思いついたのだけど、これって人が言葉を書く「目的」や「理由」の話を聞きたがってる、って読み取れるような? と閃いて、少し違うかなあ、と結論した。ぜんぜん違う、ってほどじゃあないけど、ほかにもあるかと思った。なぜ、ではない気がする。
▼▼思考、情動、感覚、意識、認識、などなどを、言葉に、乗せていく?換えていく?もしくは捏造していく? 時の、やりかた? を楽しんでる、と言えそうかと思った。
▼▼言葉に対する試行錯誤によって、じぶんの人生における言葉の扱いかた、を、如何に育て、法則化し規則化し、活かせるようになってるのか。いかなる自覚があるか。
▼▼ってあたりの、おのおのの学習および理論の話、と、気持ちよさの話、あたりを、まあ聞きたがってると思った。言葉ってものが人様の世界観なり人生観なり人間観なり死生観なりに突き刺さっている/食い込んでいる様子のことを、聞きたがっている。
▼▼あなたの手元にある言葉の扱いの話。
▼▼勝手に大切に育てちゃってきた言葉の扱いかた。
▼▼文書の書きかた本で文章の書きかた(技術)を学ぼうとしてないところある、っていう昨日の最初の閃きに対して、なんか攻撃加えてる気がしてきたな。あなたの言葉の扱いかた、も、文章の書きかた、の範疇というか配下にあるような?
▼▼ある、でよいんじゃないか? 別に否定しなくてよいかと思った。文章の書きかたの行程の一部である「言葉とじぶんの関係」が好きなんだ──、だから確かに、文章の書きかたを学ぶのが好きなんだ、と言えるのだ──、ってまとめちゃってもよいと思った。文章の書きかたを教える時に誰もが話してくれがちな「ぼくと言葉の関係」「ぼくが勝手に大切に思えるようになっちゃってる言葉とは」みたいな話題が楽しいので、時々好んで摂取しちゃってるところあります、って言えるだろう、と認識を改訂した。meltylove.hatenadiary.com