この発言をしたひとは、この発言をするのでは

▼▼誰かが発した言葉──発言、には、次の言葉を予測させる作用もある、ということを思った。予告効果があるはずだ。次回につながる理路も脈絡も想像は可能だろう。発言から逆算的に思想というものを推理し、思想から次の発言を改めて推理する切り口もある。


▼▼言葉と「気分」を、対にするようにして把握してみせると、より細やかな「次回の言葉の想像」が可能になったりもするんじゃないか、とも思った。この言葉を言った人ならこういうことも言うんじゃないかな、というだけの想像よりも、この気分のもとでこの言葉を言うような人であれば、こういう気分が来た時に今度はこういうことを言いそう、という想像のほうが、精度や解像度は、じゃっかん、高そうである。


▼▼というわけで、誰かの発言を把握して「次」や「未来」までを想定してみようとするならば、相手の「気分」までをセットにして記憶したり理解したりしたほうがおそらくよく、でもって、「気分」というものは、単語選び──言い回し、に影響をあたえていたり顔を覗かせていることが多い(と経験的に思える)から、相手の言いかたに注意し、見つめることで、多少は、「気分」が掴める──掴めたかのような雰囲気を出せる、んじゃないかなー、なんて思っていたりもする、のであった。思える場面はあった。


▼▼いわゆる「言っていることは同じだけど言いかたによる」っていうのは、つまり、言いかたが──言いかたの向こう側に想像できる気分が、大事、大切、という話に仕立てられるんじゃないか、と、つまり今回は思ったのだった。
▼▼言いかたのはしばしに、文脈が、気分が、思想が、にじみ出る。といった要素を読み取ることで、「次回」を細かく想定してゆく──想定できるようになる。備えが、気構えが、可能になる。▼▼発言者の今後、将来、次回出てくるであろう言葉、について考えるなら、同じ意味だけど言いかたが異なる、っていうことを、軽んじることはできなくなるんじゃないか、というようなことを、つまりまあ、今回、考えていたしだいである。


▼▼なぜ「言いかた」が違うだけで受容できたりできなかったりしてしまうのか、「言い回し」が違うことで変わっているものはあるんだろうか、「単語選び」に配慮することの効果や意味はあるんだろうか、というような諸々のことを、最初は考えていて──
▼▼でも、言葉選び単語選びなんて、話の流れで変わってくるし、環境や状況でも変わるし、発言者の性格でも変わるし、感情でも変わるし、教育や知識でも変わってくる。というような違いが「単語の選びかた」に出てきがちだというのであれば、その違いをじっと見つめることで、そういった発言者の周辺や内側が、多少は判る──見える──はずであり、判ったり見えたりするのであれば、そのことを踏まえて、想像できることが──考えられることが、またさらに、あるはずである。あるはずだろう。
▼▼というようなぼんやりとした想像が、言葉や発言者、言いかた、に対する、好きとか嫌いに、影響をあたえてるんじゃないかなあ、ということもまた、合わせて、思ったのであった。考えていた。