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会議/昔はじぶんの動きをじぶんの想像力だけでちゃんと想像できてると思ってた

▼▼定例会議に出て、軽く話した。じぶんの喋っている様子が最近は記憶の中にある。少し前にじぶんの喋っている声色の録音を聞いたおかげだ。記憶内に残っている声色を頼りにして基準にして、まわりの人からの目線で現状が何とか想像できて、想像ができることによって、意識的な調整が利きやすく──利かせやすくなってた、って思えた。
▼▼プレゼンテーションを録画しておいてあとで見直すような訓練、だとか、鏡の前で笑顔を浮かべて行なう接客の練習、だとか、まあまあ舐めてた時期がかつてはあって、なぜか、やらなくてよい、やる必要ない、やっても無駄、やらなくても大丈夫、ほかの手段で解決できるだろ、等々と思っていた。▼▼思っていたのは、実際的で具体的な客観的情報なんてなくても、じぶんのことはじぶんでちゃんと掌握できてる、から、必要な時に必要なだけコントロールできるぜ、なんて傲慢があったせいなのだろうけど、流石にンなわけなかったな……、って今は思っちゃってる。
▼▼実際的/具体的/客観的な姿の情報、が記憶内にあることで、じぶんの実際的/具体的/客観的な動きに対する調整、のしやすさが、おおきく変わる。ていうか変わらないわけないじゃん……、と今は思える、具体的情報の想像の難しさが今はわかる。けど、昔は思えてなかったしわかってなかったので、記録しておこう。▼▼場の具体的な情景まで既存の想像力だけでちゃんと至れてるぜ、思えてるぞ、とか思ってたんだろう。具体的な情景の解像度までじぶんの想像性能は至れる、って楽観していたのだと思う。
▼▼けどまあ、嗜好、習慣、癖、思考内容、思惑、意志、心の強さ弱さ、ダメージ、後悔や心残り、あたりに関しては、今でも、既存の想像力だけできちんと想像できていて、じぶんの状況をちゃんとじぶんを掴めてる、っていう前提で動いている範囲が、まだかなりあるなー、とも思った。明らかにだいぶある。▼▼具体的状況が持つ詳細さにまで「想像解像度」を上げるのは難しいようだ、と認識するようにはなったけど、おのれの心理のようなものに対しては、なんとなく、まだ、思えていないな、と思った。
▼▼駄目なのかな、とは思った。駄目そうな匂いはある。人間やじぶんの想像の性能を楽観しすぎだろ、って指摘は思い浮かべうる。▼▼ただ、こんな楽観は油断だろ甘えだろ貴様相手を舐めてるな、って反省して自戒して、事前に戒めすぎて、謙虚と怯みと安全対策に意識が向きすぎてしまい、可動範囲が狭まりすぎたり、動作速度が鈍りすぎたり、するのも、かなり嫌なので、このあたりはまあ、踏まえつつ適当に動きたい気持ちがある。
▼▼自信満々が頻繁に陥りうる駄目さも強く思うし、思うたびにビビりはするけど、自信満々が時たま見せてくれる強靱さや優雅さもだいぶ好きなので、このあたり、ほんとうにうまくやりたい欲がある、なあ。調整失敗の確率のほうが高そう、って目算ではあるのだけど……、うーん、ただまあ最初から諦めるのは嫌なところだとも思うのだよな……。自信持てる場なら最初は自信がある姿勢で動いたほうがよいのでは、とは思っちゃう。
▼▼過信調整や傲慢調整の話って言葉にするの難しいなあ。言葉して見せるだけで傲慢側に寄っちゃうから逐一修正が必要になっちゃう気もするし……。▼▼単純に苦手分野という気もするかな。頻繁に心配して試行錯誤してしまう領域かとも思うし、ちょくちょく対面しすぎてるあまりに複雑に考えすぎてしまってて、困り癖がついてる、難しい顔ばかり向けちゃってる、なんて言える状況かもしれないので、逆に、難関に見える最初の壁を打破できたら意外なほどうまく掴めて論旨としては得意分野にできちゃうのかも、綺麗に整理できちゃうかも、なんて期待も持てたりはするかなー。▼▼興味ありすぎて苦手、って雰囲気かなと思う。顔合わせが多すぎて苦手だとか渋い表情を浮かべつつ、いつしか勝手に詳しくなってて、なんか最後は得意分野にできちゃってる、って状況は好きだ。