世界は称賛に値する

日記を書きます

情景描写でエピソード記憶で見せ掛けられるかな

▼認識に「体験である」と見せ掛けると記憶は強固になる。のは、刺激が強くなる、ってことなんじゃないかなー、とは思えている。印象が強くなる、でもいいかな。だから、いわゆる「情景描写」っていうのは、物語りという行為を強めるために活用していくようなもの、なんじゃないかな、とも同時に考えている。無論、妄想ではある。というか、小説とかいう奴は、理解可能な形で、わかりやすく――完璧に理解してしまおうとして、小賢しく語ってしまうと、瞬時に壊れてしまうガラスの彫刻なので――腕の中からするりと抜け出してしまう幽霊や真理のようなものなので――とか勝手に思ったりしているので、疑いなく信じることは避けたいと思っているところがある、のだった。なんていう、掴もうとすると掴もうとする意識が邪魔して逆に掴めなくなってしまうのだ、みたいな「小説が持つ独自の味わい」は、はっきり言って滅法好きである。実はゲームも同じだ。