最後、ではない、送別会

▼飲み屋の暗い灯りが嫌いだ、とか書いてみせたら、ほんとうに嫌いになれたりするだろうか、なんて思う。別に、暗い灯りは嫌いじゃない。嫌いだと考えてみたこともない。記憶にない。無論、記憶にないからといって、思考にないからと言って、感じていないってことにはならないのだろうけど、明確に「記憶にない」とは思っていて、明白に「思考にない」とも思っていて、間違いないぜ、とか思っているところも確実にあって、やっぱりおおむねそうだよなあ、って思う。思ってしまう。最初はやはり「判断」を信じるしかないんだよな、って思う。最初は、受け入れるしかない。疑ってもいいし、排除しても、無視しても、いいけど、できるけど、でも、最初の最初だけは、受け入れるしかない。最初からないものは捨てることさえできない、ってことだ。
▼勤務を終えて、飲み屋へ向かう。魚民。扉を開けて、靴を脱いで、待ち合わせなんですけど、と告げる。予約は20名様で取られてますか? と聞かれて、軽くうろたえる、瞬時に頷くことはできなかった。思いのほか多いな、と思う。同時に、なるほどねえ、とも思った。ありうるか、とも。誰だか知らんがやるな、なんて思ったりもした。予約者名とかわかります? 予約者名とかはないみたいです。と訊いて、聞いて、諦めて、とりあえず案内を頼んでみた。見る限り、ほとんど客の姿はないようだった。毅然と対応されたのはそのせいかなあ、って思う。特に空間を荒らげることなく近寄っていったら、無駄に驚かれてしまい、ごめん、と苦笑を浮かべる羽目になってしまった。ごめん。
▼送別会。同僚とか後輩とかってあまり好きな言葉じゃないな、って、言葉を書いていると思う。適合する「認識」や「把握」が少ないからだろう。誰も「同僚」や「後輩」と認識していない。年齢は上で、入社は後で、隙が少なく、高潔の気配はあって、怠惰の気配はなくて、無理の気配はあった。嫌いではなかった。好きだった、と言える。妙に歯切れが悪いのは、悔しさがあったからだろうう。申し訳なさ、とも言えた。隙の少なさ、に焦燥と畏敬とすいませんを感じていたのだ。隙の多さを質×数の問題にして誤魔化しているところがあるからだと思う。隙の少ない人と話す時は感じてしまいがちなのだ。命中率の悪さを数撃ちゃ当たるで補完しているつもりだけど、偏りもあるから、外した時の迷惑ばかり掛けている可能性もあって、相手が一撃必中な人だから、もっとちゃんと狙えよ、と落胆している可能性も考えてしまって、ごめんなさい、って思ってしまうのだった。分析してないで命中率を上げろよ、腕を上げろ、なんて言われそうだな、とも思う。
▼わりと飲んだと思う。で、話した。意外なところに話の合う相手がいて、攪拌しすぎたかもだけどおもしろかった。向こうも、おもしろかった、と思っているだろうか。だったら嬉しいなあ、とは思う。けれど無論、結果は不明瞭である。はっきりしない。相手がどう思うか問題は、いつだってはっきりしない。巧くできているか、なんて、結局わかりはしない、のだ。でも絶望には値しない、とは実は思わない。逆に、だからおもしろい、とも思わない。思うこともあるけれど、思わないこともある。常に「希望だ」なんて思うことが、常に「絶望だ」なんて思うことが、素敵で、快適で、有益で、正しい、とはあんまり思いたくない、と思っている。時おり疑ってみるのも悪くない、とか。
▼頑張ればいいのに、って思う。頑張れって、手抜きで、押し付けがましくて、嫌い、不快、駄目、口先だけじゃん、言うほうはラクだよな、傍観者かよ、当事者の身にもなってみろよ、みたいなの、わかるけど、わかってれば、わかってて、けど言わなきゃ、ほかに何が言えるのさ、って気持ちだってわかると思うし、わかってよ、って我が儘も思う。
▼心配してくれれば嬉しいし、期待してくれても嬉しいし、まあ気に掛けてもらえれば嬉しい、って思う。だから、心配させてほしいし、期待させてほしいし、気に掛けさせてもらえればありがたい、とも思う。とか論理的じゃないかなって思うけど、強いて言えば感情を前面に押し出しているよな、って見せかけて、でもちゃんと書いてないだけで、わりと論理的に接続しつつ、こういうことを考えていたりはする。論理ないとヒトサマの心配なんてできないじゃん、ってむしろ思う。論理的じゃないのは、単に、根拠を書いてないからで、根拠を明確にしないことが、狙い通り、素敵を発揮することもある、って、なんか経験則的に感じているようだ。薄暗い街に足を踏み出して、解散。繰り返す。おもしろかった。誰にでも思うけど、だからって嘘ってわけじゃなくて、誰にでも思えるってことは希望なのかもしれず、誰にでも思ってしまうことは絶望なのかもだけど、いずれにしても、出逢えて会えてよかった、って思います。御武運と御自愛あれだ。