世界は称賛に値する

日記を書きます

好きなもの、は、細かいところまで見てしまうもの

 好きなもの、というのはつまり『何度もかかわりあいたくなるもの』だ。というところから、何度もかかわりあいたくなる、ということは、細かいところまで見てしまう、ということに避けようもなく繋がってしまうものなんじゃないかなあ、と考えていた。はっきり言って私たちは無能だ。一度見ただけではすべてを把握しきれない。だから、何度も見なくてはならない。何度もかかわらなければならない。はずだ。そしてそれは、複数回かかわることは対象をより詳しく知ることになる、という前提を持ってしまっている、ということを意味するのだと思う。さらに言えば、一度目に見たものと二度目に見たものは別のものである、という前提を持ってしまっている、ということも同時に意味するのだと思う。改めて考え直してみよう。一度目に見ることと二度目に見ることはおおむね違った経験である。だからこそ、複数回見る、ということを、対象をより深く知る、ということに繋げることができる。言い換えるならば、複数回見てしまう、ということは、対象をより深く知ってしまう、ということに繋がってしまう、わけだ。好きなものは複数回かかわりたくなるもの、だとするなら、好きなものは複数回見てしまうもの、だ。だから、好きなものはどうしたって『より深く知ってしまうもの』に繋がってしまう。つまり、細かいところまで見てしまうもの、に繋がってしまう。というようなことを考えていた。