本来ならば休みのはずだった

 最近は比較的忙しい、と言える。出勤時刻は午後6時だった。本来ならば水曜日は休みのはずだった。と発言したくなるときの人間の思考背景について少し考えていた。本来ならば休みのはずだった、と言うときの『本来』という言葉は、たぶん、もともと立てられていたスケジュール、に対して目を向けて語られた言葉なんだよな、とまず考える。というところから、つまりそれは『もともと立てられていたスケジュール』に、正しいものであった、とか、本当のものであった、とかいう印象を感じてしまっている、ということなのだろう、というところへと思考を進めてみる。要するに、遵守されるべき正解はそこにあった、ということを思考の背景に置いているからこそ、そんな言葉が発言できてしまうのではないか、と考えてみたのだった。ちょっとした違和感を覚えたことが、そのことを考えたきっかけだった。違和感は、ちっぽけな人間が立てたスケジュールなんかに『遵守されるべき正解』などという大仰なものを見てしまっていいのだろうか、という疑念の中にあった。人間が立てた計画なんて所詮は杜撰な想像に過ぎないのだから、本来、なんていう大層な言葉を適用するには値しないのではないか、と考えてしまったのだ。もしも神如き『運命』なんてものがあるのなら、間違いなくそれこそが『本来』と称されるべきものなのであって、人間が立てた『計画』なんて、まったくもって『本来』なんてものではないんじゃないか、という思いつきが思索の始まりだったわけだ。勤務自体は順調かつ無意味だった。あまり混まなかったからだ。あえて休みを捨てるほどの危機でもなかったかな、と考えてしまったのだった。ただ、余裕を活用して必要な作業をいくつかこなすことはできた。悪くはなかった、と思う。最近は少し暖かくなってきたかな、と感じている。