きちんとすべてを見据えたのか

 話を聞きながらよく思う。生き方を語るどんな思考にも、それは間違いだ、なんて言う気にはなれないよなあ、と。無論『間違っているとわかっている生き方を語る人なんていない』からだろう。おおむね妥当に思えるのだ。でも、視野狭窄の気配があって、それゆえの不足が不幸を呼び込みそうで、黙って見ていられないこともある。だから、あえて言うときにはこう言うことが多い。ここは見えているのか? これは考慮済みなのか?