安易で安直な有効性に頼りきった言葉が好きではない

 さらに考える。私が『責任や義務といった概念に頼りきった言説にはどうしても説得力が感じられない』と思ってしまう最大の理由は、おそらく『それをする人間が手抜きに見える』からなのだろう、と思う。責任や義務などというものはおそらく、それを信じる者にしか有効ではない、と私は考えている。つまり、責任や義務というものは、それらに対して自分が感じるのと同じように感じてくれる相手にしか有効ではない、と考えているわけだ。が、しかしそれは、言い換えれば、責任や義務というものはそれを信じている相手には驚くほど有効である、ということだろう。責任や義務という言葉に重みを感じる人間にならば、責任や義務という言葉は、それだけでかなりの威力を発揮してくれる、ということだろう。だとすれば、責任や義務という言葉を使うだけで、安易に説得することができたりもするだろう、し、責任や義務という言葉を使うだけで、安直に批難することができたりもするだろう。要するに私は、それが嫌いなのだ。真摯に活用しないと、概念が持つ力に頼り切ってしまって、思考を放棄してしまう。その無様が不服なのだ。