言語化する利点

 言語化思考は間違いなく有用な手法だろう、と思える。言語化することで『言葉が持つ意味的体系』を利用することができるからだ。言葉に変換してしまうことで、それぞれの言葉が持つ設定を利用して、知覚した情報を整理することができる、なんて表現してもかまわない。暑さ、と、寒さ、が対比的に考えられるのは、暑さという言葉、と、寒さという言葉、が、言語体系を背景にした性質(形容詞とか対義語とかだ)によって脳内で整理されているからだろう、と私は考えているわけだ。どうしたところで整理しようのない複雑な現実を、少なからず整理された言語体系に対応させてみることで、我々は思考とやらを行っている――行えている、なんてことを考えているわけだ、と思う。その利便性を捨てることなく言語的な思考を捨て去る方法はあるのだろうか。あるいは、その利便性をあえて捨ててまで言語的な思考を捨て去る必要はあるのだろうか。と考えていた。