世界は称賛に値する

日記を書きます

それは犠牲なのか

 犠牲という言葉が認識を捻じ曲げてしまうことがあるようだ、と考えていた。犠牲という言葉には悲劇の匂いがまとわりついているからだ。ゆえに、犠牲という名が冠せられた途端、その『排除されたもの』は、勝手に悲劇的な色合いを帯び始めてしまうからだ。たとえそれが、さほど悲劇的なものでなくても、だ。