世界は称賛に値する

日記を書きます

取り戻すべきもののを取り戻すために

 もっと頑張りなよ、とか、無理することないよ、と人は言うけれど、どんな時だってどちらの意見が正しいということはなくて、ただとりあえず私はアンタのことを心配でならないんだよ、とか、気持ちをラクに持ってもらって少しでもいいから安らぎを得て欲しいんだよ、とかいう、そういった気持ちの言い換えに過ぎない。これ以上気を張りすぎたら駄目になるな、と感じたら、無理することないよ、と言うし、このままなあなあで行ったら駄目になるだろうな、と感じたら、もっと頑張りなよ、と言う。でも、それは、そうすれば全部うまくいくぜ、ということではない。正しい(最善の)選択を教えているわけではないのだ。そもそも人にそんな風に未来を見通す力はない。だから、たとえ私が「無理すんなよ」と言っても、無視して無理したほうが良いのかもしれないし、逆に「もっと頑張れよ」と言っても、そのまま頑張らないほうが結果的には良い状態を生むのかもしれない。けれどそれは、あくまでも可能性の話に過ぎない。人間には結局、実際にどうなるかなんてわからない。だから私たちは、間違いであるかもしれない、というその可能性を認識して、責任を負うしかないのだ。言い換えるなら、覚悟を決めるしかないのである。落ち込んだ友人に声をかける時に、私が考えていたのはそんなことだった。通常、土曜日と日曜日では土曜日のほうが店は混む。昨日の土曜日がそこそこ暇だったのだから、今日の日曜日がそれより忙しいということはおそらくないだろう、と想像していた。そしてその想像は間違いではなかった。落し物を拾ってくれた方が連絡をくれて、受け取るため一時間弱の時間、店を離れたにもかかわらず、ほとんど問題にならなかった。それくらい余裕があったのである。普段の日曜日と違って今日は午後出勤だったので、帰宅時刻は終電間際。帰る途中でミヤ氏に連絡して飲みに誘う。イネ氏にも声をかけて、うちで家飲みでいいだろ、という提案に乗った。ミヤ氏がレンタル商品を返したいと言うので、返却BOXに商品を投げ入れてから、99円ショップで酒を仕入れてイネ氏宅へ。コンビニで待っていたらしいイネ氏を見過ごしてイネ家に到着。話の流れでなぜかガンダムF‐91を見ることになった。私が、実は見たことがない、と言ったせいであろう。見終わったあと、たらたらといろいろなことを語り合っていた。ミヤ氏の悩みが女性関係のものであったせいか、おおよそ女性関係の愚痴だった、と言っていい。志の高い女性が少なすぎる、なんてことを話した記憶があるが、正直なところを言ってしまえば、男だってそれはそんなに変わらないだろ、と思う。男であろうと女であろうと、要するに私は『生き様の格好良い人間』に出会いたいだけなのだ、というようなことを考えていた。私はそいつに敗北感を覚えずにいられる人間でありたい、と思う。それは私の流儀を支えるひとつの想いだ。