ヒトの不幸を消すチカラ

 誰もが笑顔を浮かべて幸せに過ごしていければ良いのに、ということについてたまに考える。無論、これは理想であって、現実は間違いなくそうではないのだけど、理想は現実を変えていくために掲げて目指すべきものだ、と私は考えているから、その定義から言えば、現実が理想的でないのも、理想が現実的でないのも、それなりに当然だと言うべきなのだろう。理想は現実を変えていく時に見本にするためのミニチュアモデルなのだ、というのが私の考える『理想』の定義なのである。で、誰もが幸せに笑えるような、そんな理想の世界を自分のまわりに展開するために、私は、人の悩みに対して的確に対処できる人間になりたい、と考えている。万人が悩みを抱えることなく幸せな気持ちで生きていくことのできる世界、なんてものを、今から私が構築することはたぶん不可能だ。けれど、人の悩みを緩和させるくらいのことなら、少しはできる。少なくとも、今から新しく世界を作ろうとするよりは遠くない目標だろう。今日は友人のミヤ氏と話しながら、そんな風に悩みを緩和させることのできるような力が自分にはあんのかな、というようなことを考えていた。実際問題彼がへこんでいたからである。そして、それに対して自分に何かできることはないのだろうか、なんてことを考えていたからである。しかし結局、うまい言葉をかけてやることができなかった。それが悔しい。車を出してもらって秋葉原を適当に巡りながら、思い出したように突っ込んで愚痴を聞いたりしていただけだった。それが不足で無駄だったとは思わない。が、それが最善の策だったのか、と自問すれば、そうではあるまい、という答えが浮かんでしまう。そのことが悔しい。もっと励ましてやれば良かったのかもしれないし、もっとうまくツッコんで愚痴を引き出してやれば良かったのかもしれない。話せばなんとなくスッキリする、ということはあるしな、というようなことを思うのだった。小雨が振り落ちる中、秋葉原では主に、デジタルオーディオプレイヤーを見てまわっていた。ミヤ氏がその系統のものを持っていて、見ているうちに私も欲しくなったのだ。基本的なスペックや相場を知っておきたい、というのが動機だった。なので、購入には至っていない。帰り際にふと立ち寄った地元近くのヤマダ電機で、偶然ネコ氏の兄と出会ったのが驚異的だった。午後8時頃解散。漫画『WORST』を11巻まで借りた。