ヒトクイマジカル(西尾維新)

ヒトクイマジカル 殺戮奇術の匂宮兄妹 (講談社ノベルス)

ヒトクイマジカル 殺戮奇術の匂宮兄妹 (講談社ノベルス)

▼最新刊出ませんね……。結局なんでトラブってるのか全然わからない(俗説はそれなりにたくさん)のだけど、とにかく何かがあって、絶賛発売延期中らしい。すでに脱稿している、という噂が支配的だけれど、情報源が曖昧なことは否めないから、実際のところどうなのかは不明。九月・十月・十一月の三ヶ月連続刊行を目指していながら、しかし何らかのトラブルで九月に間に合わなかったために、今は調整(思案)中なのだ、という噂もある。まあ、三ヶ月連続刊行は本当に予定されていたようだ。そんな最新刊が待ちきれずに、前作『ヒトクイマジカル』を改めて読み返した、というわけではないのだけど、なんとなくちょっと思ったことがあったので。▼キャラクターを使い捨てにする作家が私はわりと好きなのかな、とふと思った。使い捨て、と言っても、キャラクターを唐突に登場させて、すぐに退場させて、以後フォロー無し、なんていう状態ではない。重要な立場、価値のある立場に立たせておいたキャラクターを、名残惜しむことなく退場させてしまうような、そんな状態だ。西尾維新氏は、比較的それを躊躇わない人物だと思う、し、それゆえに、そのあたり好きだな、とも思う。▼しかし、だからといって、それに冷淡に対応できるわけではないのだよな……。重要だった人物が唐突に死んだりして退場した時に、まあしょうがないか、とあっさり思えるのか、と言えば、そんなことはない。比較的感情移入して物語を読んでしまう傾向があることもあって、正直かなりショックを受ける。おおむねその衝撃が、その物語を、心に深く刻み込むことになって、それが快感なのだ、とも言えるわけだけど、油断すると、登場人物を殺せばおもしろくなる、みたいな浅はかな考えに繋がってしまう危険もあるわけだから、一概に言い切ってしまうのは微妙かな。▼言うなればダイゴウジガイとかがそうか。もちろん、殺せば良い、というわけではない。殺すなら殺すだけの脈絡を魅せて欲しいし、その『死』が意味の持つ物語であることが前提だ。ただ登場させて適当に殺して物語的にもたいした意味はない、なんて物語は、むしろ嫌いだし、おもしろくもない。西尾氏にはそれがなかったから、好きなのだよな。