そもそもハードルみたいな形状にしないという手腕とかないものか

▼▼好評を伝聞で知ったような時に、つまり、じぶんで見つけたのではなく誰かしらの話によって素敵なものに出会えた時に、基準が上がりすぎて──期待が高まりすぎて、結果的に、楽しめる確率が下がりそう、というような切り口があるかと思うのだけど、好評を知った時の、脳内の昂奮、も、一種ではあるまい、と思うし、おおきさの調整も不可能ではあるまい、とも思うことがあって、ほどほどの昂奮で収めるというか、あくまで契機として扱うというか、程よく統べる技術があるとよいな、ということを思った(おすすめをうかがうのが好きなので、ここを維持してうまくやりたいぞ、って思った)。

形と、動きと、力が、判別できない場面

▼▼構造、機構、機能、という三つの言葉の使い分けに迷うことが時々ある。いずれを使おうともあんまり言いたいことからズレない気がするぞ、なんて思えていることが多いからだ。物事における、内側にある形、形の中で行なわれている動き、形と動きにより達成されている力、というふうに説明できるだろう。

▼▼構造、機構、機能。文字が一文字ずつ数珠つなぎになっているのだけど、この数珠繋がりによって、なんとなく意識させられがちなところもあって、この意識面のフォーカスの引き寄せ具合の強さが、この三つの言葉に向けがちな「迷い」を目立たせているところはある、かと思った。

▼▼小説の構造、小説の機構、小説の機能、というふうに頭の中で呟いてみて、細かいところを探ったりする(ここでの「小説」は例だ)。

▼▼なんて書いているうちに、なんとなく違う気がするぞ、って思えてきたりもした。同じようなものじゃん的な意識は駄目だし違わない? って思えてきた。

▼▼なんというかこれは、「じぶんが思っていることが、構造についてなのか、機構についてなのか、機能についてなのか、判別できないことがある」といったところの混乱の話なんじゃないかなー、という整理も出てきた。▼▼物事Xについて思索している時に、今じぶんが疑問に思っているのは「物事Xの、構造?機構?機能? どこについてなんだろう?」というふうに思ってしまっていることが多い、といったところが、今回の思考の開始地点だった気がしてきたのであった。思い出せてきた。
▼▼物事が見せてくれている、形と、動きと、力の、判別しづらさ、違い、のことを、よく考えてしまっている、って思った。


▼▼対偶、裏、逆、といったふうな見る角度の違いがあるだけなんじゃないかな? ということも、とはいえ思った。
▼▼こういう構造がある、こういう構造が好き、って例えば言った時に、こういう構造があるってことは同時にこういう構造があるってことだよね? とか、こういう構造が好きってことはこういう構造も好んでいるってことだよね? とか、角度を変えて指摘することは、可能だろう。可能なことは多い。反対側から見たら──細部を見つめたら、別の言いかたが可能になる構造が見出せる、ということは当然ある。
▼▼というような情景と同じで、こういう構造があるってことはこういう機構があるってことだよね? とか、こういう機構があるってことはこういう機能があるってことだよね? とかいうことは、可能だろう。可能なことは多いと思う。
▼▼というふうに論理が繋がっているから、ここで構造と言っても、機構と言っても、機能と言っても、変わらないなあ、って思ってしまうことが多い、というのはまあ、ある気がする。あるとも思えたのだった。


▼▼同じ物事の別の側面、そして、側面ごとの呼び名、というようなものが存在した場合に、如何なる言葉を選ぶか、っていうことの話、でもあるんじゃないか、って思った。
▼▼じぶんが今話したいことに合わせて選ぶしかないんだろうなー。どの側面を見せて話したら判りやすいか。印象深くなるか。