世界は称賛に値する

日記を書きます

上位概念と下位概念に、同じ見た目の単語

▼▼林檎と果物が好き、哺乳類と犬が好き、なんてふうに並置してあったら、すぐに「集合としてかぶってるので例として適切じゃないよ」と思えるのだけど、観念的な言葉の並びだと、そのことがすぐに判らないことがある。まあ、感情と怒りとかなら、すぐに判るのだけど、哀しみや不安とか、落胆と暗い気持ちとか、理解と認識とか、だと、判らなくなるのだ。けっこう迷う。
▼▼不安という言葉は「不安定な感情」を包括する上位概念であって「哀しみ」というのはその下位に属するのでは? いや、哀しみと不安は違うでしょ……(哀しみは不安の一種、ではないでしょ)、理解と認識だったら理解が上位概念なの? いやむしろ認識が上位? いや、そういう繋がりじゃあないのか? っていうような疑問が渦巻き始めて、言葉に詰まる。


▼▼ある言葉Aが「狭義のA」「広義のA」と場面によって使い分けられているような時に、広義のAのほうが「上位概念」として――狭義のAのほうは「(広義のAの)下位概念」として、認識されていることがわりとあって、こういう時、ただ「A」という言葉を頭に思い浮かべると、混乱というか混線が起きる、っていうのを思いついた。
▼▼発想段階では「狭義のA(下位)」と「狭義Aと同列(下位)にある別の概念」を同一レイヤー上に乗せてみたつもりなのに、発想が終わった直後に認識がゆがみ、「広義のA(上位)」と「狭義Aと同列(下位)にある別の概念」を並べたような気分になってしまう。勘違いし始めてしまう。でもって、「あれ? 間違えた! この二つ、一緒に並べられないじゃん!」と「思ってしまう」。▼▼というような感じなのかなー。▼▼「不安定な感情を総称する言葉(広義の「不安」)」を頭から出したはずなのに、「不安という独特な感情(狭義の「不安」)」として取り違えてしまう。狭義側になんとなく認識がズラされてしまう。狭義の意味のほうが、デカイ顔しやすいのかもしれない――つまり、出しゃばり、なのかもしれない。