世界は称賛に値する

日記を書きます

流行りを蔑んでしまいたくなる

▼流行りを蔑視してしまう傾向がやっぱりあるなあ、と改めて認識する。可能な限り排除しておかねば、とも思う。流行りにだって適切なものと劣悪なものがあって、まとめて短絡的に否定できるような種類のものではあるまい、と考えているからだ。例えば『脳を鍛える系』について考える。実際問題、脳は変化する。物理的に変化しうるだろうことを判断できる。と同時に、積み重ねた経験が脳の変化に影響を与えるのも間違いがなく、積み重ねた経験が脳に与える影響の大きさもまったくの未知というわけではあるまい。という思考を経て、脳の強化を目的化することは無意味ではないだろうと思える。なのに、なんか皆がこぞってやっているから、なんていう理由によって、何故か陳腐を感じ、時には愚昧すら感じてしまうことがあるのだ。無論、流行りの背後には『思考停止』が潜んでいることがあって、けれど『思考停止』はあまり好きじゃないから、流行の発生源まで遡って批難したくなることなんかもあったりはするのだけど、だからって、流行を全部まとめて蔑んでしまうようなら、それこそ『思考停止』だろうと思う。▼流行りに流されることの背後には思考停止の可能性がありうる。比較的高いだろうとも思う。だから、短絡的な流行への参加には疑念や批難を覚えてしまうこともある。けど、発生源の行為に問題があるかどうかはまた別問題で、問題があることも、問題がないことも、ある。だから、考えねばなるまい、と思った。駄目かどうか検討しなければならない。皆がやっている、という情報が持ちうる益と害をずっと掴みかねているな、と思った。取り扱いが難しい。別に意識しなくてかまわない、なんてもし断言できるとするならば、流行りとかを気にしないでいられる世界観はどう構築すればいいのだろうか、なんてことも考えたいと思った。