世界は称賛に値する

日記を書きます

工学部・水柿助教授の逡巡(森博嗣)

工学部・水柿助教授の逡巡 (GENTOSHA NOVELS)

工学部・水柿助教授の逡巡 (GENTOSHA NOVELS)

P.215

 そもそも、研究という行為は、二十代の若者にしかできないものかもしれないな、と水柿君は以前に感じたことがある。三十代や四十代になると、自分の人生の先が見えてくる。すると、あと三十年も四十年もかかりそうなテーマから、どうしても目を逸らしがちになる。何の役に立つのかわからないものに、いつまでも時間をかけて取り組んではいられない、もっと効率の良い仕事をするべきだ、という焦りが歳を取ると出てくるのではないか。周りにいる研究者たちを観察していると、そう思える。高齢の研究者ほど、早く成果を社会に還元したいと望む傾向が強い。きっと、そうしないと、自分の存在理由が問われるためだろう。遠大なテーマに遭遇すると、自ら取り組もうとせず、教え子たちに、「これ、面白そうだよ」と勧めるようになる。
 若い研究者にはそういった価値判断がない。彼らにはまだ無限の時間があるからだ。そう感じられるときが、つまり「若い」という意味であって、別の言い方をすれば、「子供」ということだろう。自分の限界もわからないから、いつかはすべてが解決する、自分はどこへでも到達できる、と信じているのである。馬鹿馬鹿しいことだが、この錯覚が、人類をここまで豊かにしたのでは、と水柿君は思う。
 今振り返ると、助手のときは水柿君も確かにそうだった。そして、そういう時期にした仕事こそが、自分でも一番価値が高いものだと理解できるのである。