世界は称賛に値する

日記を書きます

複雑な問題とエンカウントしたとき(経済学という教養)

経済学という教養

経済学という教養

▼思考を巡らせていると稀に、なにやら鬱蒼とした森に迷い込んでしまったなあ、なんて言いたくなるような、ここまでくるとさすがに一寸先は闇ばかりだよな、とでも言いたくなるような、複雑怪奇なところ、に、辿り着いてしまうことがある。ある問題を解体していく途中で、不意に、滅茶苦茶にこんがらがった糸を解きほぐさなければ打破できないような、厄介な問題に遭遇してしまうことがあるのだ。▼たまにそういう問題に遭遇したりすると、おのれの調子がちょっとわかったりもする。自信満々で「いっちょ掃除してやるぜ」とか思えるときは、調子がいいし、怯んだり弛んだりして「誰かがやってくれるだろう」とか思ってしまうときは、調子が悪い。なんて判断できるように思うからだ。▼誰かがやってくれるだろう、なんていう期待を抱いてしまうことがあるのは、問題をこんなスマートに解体できる人がいるなんて、という『驚き』をこれまでに経験することがあったから、なのだと思う。素晴らしい能力を持った人間がいる、ということを、驚きとともに知ったから、誰かが解体してくれるんじゃないか、なんていう、ちょっと情けない希望を抱けるようになったのだろうと思うのだ。情けないのは認めざるを得まい。しかし、確かに厄介な問題だけど誰かが解いてくれるんじゃないだろうか、なんていう希望を抱けるだけの経験を積めたことは、素敵なことだったぜ、と思える。▼稲葉振一郎『経済学という教養』を読んでいると、実際にそういった『驚き』が頻繁に感じられる。ゆえに、この書物は素晴らしいものであるなあ、というようなことを考えていたのだった。