世界は称賛に値する

日記を書きます

誤解されそうな人

▼なぜ人を殺してはならないのか系に属する問答を眺めながらちょっと考えていた。こうして文章を書いていることを、最近はほとんど友人知人に教えなくなった。軽いためらいを覚えてしまうのだ。ここ書いているような思考をあまり知って欲しくないなあ、なんて思うようになってしまったのだ。なぜか。誤解されそうな気がするから、だろう。違うそうじゃないんだ、なんて思わず言ってしまいたくなるような形で捉えられてしまいそうだな、なんていうような『嫌な予感』を感じてしまっているのである。言い換えれば、誤解を恐れている、わけだ。単に、誤解を面倒くさがっている、と言ってもいい。▼しかし無論『この人なら誤解しないだろうな』と予感できる人だっている。この人にならきちんと伝わるだろう、と感じられる人だっているのだ。だとしたら両者の境界線はどこにあるのだろうか、と考えていて思ったのだった。なぜ人の殺してはいけないのかという問いに対してある種の答えを返してしまう人、と、この人が私の文章を読んだら『違うんだ』とか言いたくなっちゃいそうだなあと思わず想像してしまう人、は、似ている、と。