世界は称賛に値する

日記を書きます

すべてを愛す

 誰もかれもが嫌いなんてことを思ったことはないけれど、誰もかれもを好きだと思ったこともない。でも、誰もかれもを愛せる人間だったらいいなとは思うのだ。そうなれないのはきっと愛に条件をつけているからなんだろうなと思う。価値観とか美意識とか言われるものがあって、それにそぐわない人間はやっぱり愛せないと思ってしまう。もちろん顔かたちの話なんかじゃなくて、でも無論それも含んで、人間全体の話だ。かつて『彼氏彼女の事情』という漫画で女好きの浅葉がこんなことを言っていた。女の子はすべて美しいのだ、と。そして別の女好きである椿はこう言っていた。選別という残酷を含むから美は美なのだ、と。思想的対立。そして私は後者に属する人間なのだろう、と思う。選別している。選別して、愛するものを決めてしまっている。誰のことでも愛せる人間、になるには、女の子はすべて美しい、と感じられるのと同じように、人間はすべて愛しい、と感じられる価値観を持たねばならないのだろう。習慣と理屈を糊塗し続けていくことで、その境地に近づいていくことは、果たして可能なのだろうか。そんなことを思う。理想像。