世界は称賛に値する

日記を書きます

正しいものなんてあるのか

 突き詰めれば《正しい》なんてものは幻想だ。そんなものは実際には存在しない。とかなんとか考えてしまっていた時期が私にはあった。あったのだけど、そんな風に考えていたことを今は、わりと短絡的だったかな、と反省している。今は《正しい》という概念の存在を認めているからだろう。本質的に正しい存在(誰がどこからどう見ても「確実にそれは正しい!」と認められるような存在)なんてものは確かにないかもしれない。先験的に《正しい》ことが認められる存在なんてないのだろう、とは確かに思う。とはいえそれが『正しい』というものの非存在を証明してくれるわけではない。今の私は『正しい』というものを、何らかのルール(規則)を前提にしたときに持ち出すことができる『評価用概念』だ、と考えている。換言すれば、正しいかどうかは観察者が使っているルールにより決定されるものであって、事象そのものが先験的に所持している性質ではない、と考えているわけだ。そしてそれは同時に、同じルールを共有している者同士でなければ『正しさ』を共有することなどできない、ということも意味してしまうのだろう、と考える。