世界は称賛に値する

日記を書きます

[終了記」哲学思考トレーニング(伊勢田哲治)P.117

哲学思考トレーニング (ちくま新書 (545))

哲学思考トレーニング (ちくま新書 (545))

《95点》

 確かにデカルトの方法的懐疑は、確実な知識を確立するためのプログラムとしては失敗した。これは一種の反面教師としてとらえることができる。しかし、できるだけ確実なものから出発して確実な情報とあやふやな情報をより分けていくという方針そのものは、クリティカルシンキングの一つの基本的な考え方として参考にすることはできるだろう。
 デカルトのプログラムの問題は、最高に厳しい「確実さ」の基準を設定して信念をより分けておきながら、その基準で「あやふや」のほうに分類されてしまった信念を切り捨ててしまったことにある。冷蔵庫の野菜の比喩でいえば、悪くなっていないという絶対確実な証拠のない野菜をすべてゴミ箱に直行させてしまったわけである。しかし、当然ながら方法的懐疑で十把一からげに切り捨てられる「あやふや」な信念の中にも、さまざまな性質やレベルの差がある。
 たとえば明晰判明に真だと思われるものは確実なものとして受け入れていい、という前提さえ認めれば「確実」の側に分類できる信念も多いだろう。このあとですぐ紹介する論理的推論の規則や、「こういう形のこういう色がこの方向に見えている」というような知覚についての一番基本的な信念(哲学用語でいうところの「感覚与件」)は、これにあたるだろう。さらに、デカルトのいうようなデーモンの可能性は無視してよい、という前提も認めれば「確実」として受け入れてよい信念の範囲はさらに広がる(「目の前に紙切れがあるかのような色と形が見えている」という信念だけでなく、「実際に目の前に紙切れがある」といった類いの信念も受け入れることができるようになる)。
 そうやって「何を前提として認めれば、どこまでを「確実」の側に含めるようにできるのか」を一歩一歩明らかにしていくプロセスは決して不毛な作業ではない。