世界は称賛に値する

日記を書きます

雪見だいふくの冬

▼▼雪が降ってなくても雪見だいふくを食べたくなる。雪見だいふくを買いたくなる。買うことは喰うことかな? 雪見だいふくには思い出があるような気がする。が、思い出は言い過ぎのようにも思える。まあ別に食べなくても死にはしない。誰だって時折唐突に何かを食べたくなって、けどだからって、食べたくなったものを食べなくても、死にゃあしない。哀しくもならない。食べられなくてもよいか、って思ったり、思わなかったり、あとで食べようって思ったり、また今度食べようって思ったり。でもそれだけだ──なんて無論言わない。状況に、文脈に、場合によるだろう。もちろん、特別な、素敵な、唯一無二の、奇跡のような美しき食欲だって、あるのかもしれない。はたまた、誰の食欲なら美しいと思えるんだろうって思った。当然ながら自分の食欲になんて美を覚えられない。好きな人なら可能かな? 恋の相手なら可能なのか? 雪見だいふくはたしか二個入ってるので二人で分けて食べたらそれは美と言えましょうか。