上滑り

 上滑りしているなと思った。工夫が足りないようだ、という表現も、それを説明する言葉として閃くことができたのだけど、そのまま書くと誤解を招くような気もしているので、迷っているが、まあ書いてみた。正確性が足りないな、と想像できる。というか、違う解釈も垣間見えてしまうようだ。というのも「何となく」の範囲ではある、が──。
 最近ポメラを買った。そしてポメラで書いたりもした。結果、上滑りしているな、と感じられるものができた。昨日の文章である、なんか、こう、あんまり好きじゃない。好きじゃないかも、って思えてしまっている。なんていうか、テキトーに書いてしまった感が強いせいだ。ざくざく文字を置いただけ、いまいち深いところまで降りられてないどころか、深いところに降りることを諦めることすらできてないくらい何も考えず表面をなぞっただけ、みたいな印象がある。サボりすぎだ、とも言えるだろう。脳内にあるものを奥の方まで、あるいは、何となく癖や無意識で隠してしまうようなところまで、絞り出してみせよ! とでも言えるような、最近よく考える理想的指針とは、ちょっと似ているけど、かなり違う、ものを、書いてしまったぜ、という判断を持つに至ったのだった。一日経って。
 工夫。工夫ねえ。工夫、という言葉を思いついたのは、これまでに、可能な限り絞りだそう、絞り出してみろ、と思ったり、あるいは、これまでいろいろと考えながら文章を書いてみて、いいものができた、とか、これはなんとなく自分的に好きかも、と思えるものが書けた時に、わりと、いろいろと、工夫、というか、こういう感じの狙いを持とう、という試行錯誤や挑戦があることが多くて、だけど、昨日の文章には、全然それがなかったなあ、と感じたからだ。漠然としていたのがはっきりわかる(若干矛盾した文章に見えるのを狙ったわけではないよ、と書いているうちに狙ったことになった気がする……)。
 芯がなかった。という言葉が思い浮かんだ。いろいろ思い浮かぶものだな。
 芯があるとかないとか、なんていうか、どうでもよいぜ、という判断は、かなり好きなような気がしている。芯なんて概念に揺るがされたり騙されたりしてる場合かよ、みたいなことを思ってしまうところはある。詐欺に使いやすい概念なんじゃないか? なんて言えるような、思えるような、判断あるいは先入観、偏見があるみたいだ。
 工夫と芯、かあ、とも考えていた。いや、いま考えている。
 いま、頭の中では、文章を書く、ってことについていろいろと考えて、こうしてみよう、と試してみて挑戦してみて、結果、よいものができる、みたいなことに対して、工夫、という言葉を持ってきたく思えていて、それと同時に、芯、という言葉を使うことでも、同じ「よいものができる試行錯誤」のことを、説明したり、語ったり、できるんじゃないかな、って考えていたりする。だけどまあ、さらに同時に、それらの概念の繋がりを、構造整理を、うまく説明できないでもいる。これを読んで、ああ、工夫することと芯があることってそういう繋がりがあるよねえ、確かにねえ、と思える人は少ないだろう、と想像してしまう。できてしまう。できてしまう? 想像できるというか、実際、自分で、ここでこうして、工夫、って言葉と、芯、って言葉を、見て、語っていても、ぼんやり考えてしまって、結局クエスチョンマークが浮かぶ。なんだこれ? って思う。
 こういう未整理と混乱と混雑を、とにかくできるだけ描いて、ちょっとずつでも、ちょっとだけでも、前進させることが、最近は、非常に「望み」として脳に描いているわけだけど、それが好きか、って言うと、それはちょっとわからない。全然嫌いではない、ということはできるし、簡単なのだけど、嫌いなものなんて実際はほとんどないと言える人格なので、というか、好きだ好きだ言いたがりであり思いたがりであり、そんなわけで好きなものは多いので、その言説がどういう意味合いを持ってくれるかも微妙だ。
 ぜんぶ好きって言いたいよ世界! という話を思い浮かべると、嫌いな食べ物のことが思い浮かんで、なんか、絶望するというか破綻する。味覚が敵かもしれません(無茶振り)