昨日の読書は元長柾木『デイドリーム、鳥のように』と雑誌「週刊少年ジャンプ」あたりで

▼▼昨日は元長柾木『デイドリーム、鳥のように』を読んだ。短編集『ゼロ年代SF傑作選』に収録されている一篇で、相手の人生を象る物語が見える、という特質を核に据えた世界の物語だ。▼▼発言としては結構断言していたりするのだけど、内実に若干不明瞭なところが残るため、主人公の心境が「決定的な場面でどう動くのか」ってことが不安で予想できなくて、つまり気になって、わくわくしながら読んでいた。って言える。
▼▼週間少年ジャンプも読んだ。現状で印象深く残っているのは『HUNTER×HUNTER』で、強化系の応用技としてこんなのを持ってこれるとはなー、なんていう驚きを覚えたのだった。強化系の可動範囲の狭さが気になっていたせいだろう。強化対象の選択次第ではまだまだいろいろありうるのだなあ、という驚きかな。
▼▼で、地味に衝撃を受けたのが『いぬまるだしっ』で、おそらく『HUNTER×HUNTER』的な演出のパロディを狙ったのだろう、なんて思える話だったのだけど、驚くほど楽しめてしまって、衝撃を受けたのだった。▼なので、結局君は「HUNTER×HUNTER的な演出手法」を真似というか駆使してくれれば何でもおもしろく思えてしまうのでは? という疑いが起きている。のであった。最近好きなところの『めだかボックス』も同じような要素があるしなあ。
▼▼地の文、という小説的な概念で「HUNTER×HUNTER的演出」を説明できそうな気がしたのだけど、HUNTER×HUNTERでの「説明文」を、単純に「小説の地の文」に持っていく姿を想像してみると、違和感がある気もするので、若干違うのではないかなって思った。やっぱり漫画向きに調整が加えられているのだろうか? なら解析してみたいのはそのあたりの「調整」のありかたかな。▼▼漫画の中で描きうる「小説を思わせる演出」が結局は小説とどう違ってしまうのか? 漫画が持つ特質が小説的演出を変貌させるとしたらそれは何だろう? って問いから漫画を捉えてみたくなっている。