明けましておめでとうと生き長らえたことの喜びかどうか

▼区切りが見せる益や害については時おり考えたりする。微妙だなー、と判断中だ。妙に判断保留している。精神や思考や認識の問題で、有益だとも有害だとも言えてしまう、とは理解している。区切りは幻想や錯覚とも見なせると思うし、だからこそ、安易に捨てるのは違うだろ、って思えるところもある。なので、軽々しく評価できなくなる、のだ。無論、評価が必要かどうかもわからない。あと、益や害――利便や迷惑、あたりから、良し悪しだとか、あるいは、善し悪しとかを、観ちゃっていいんかねえ、とも思ったりはするし。可能なのかも、妥当なのかも、怪しくなってゆくな……、というか。▼明けましておめでとう、という台詞を、巧いこと生き延びることができたぜー、って言うような心境で言っていいのかね? ということは、以前から考える。恐怖のバトルロワイヤルを潜り抜けて、巧く逃げ延びることができたりしたら、おめでとうおめでとう、って、かなり強く言うんじゃないだろうか、って思っていて、同様の心境で、明けましておめでとう、とか発語していいんだろうか、なんていう形の疑問である。誕生日おめでとう、にも同様のことを思うことがあるかな……。微塵も批難等ではない。▼起床時刻は午前9時。勤務は午後4時からだ、けど、若干早めに行くんじゃないかな、って考えている。近頃読んでいるのは『気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ』あたりである。読了目前だと言える。軽く定番の匂いがしている。売れたようだ。斬新も納得も沢山だぜ、とは確かに思えた。時間術、整理術が最近はおもしろい。興味が湧く。時間術や整理術で躓く人が多い、という状況が、すでに素敵だ。躓きの元凶と打開策が非常に興味深い、とかだ。