神は細部に宿る

▼細部を切り落とす、ことで、同じ、という判断を増やし、認識というのは安定を保っているのだろう。なんて判断を持ってはいる、のだ。認識というのはそういう機能を持っているようだ、とか思っているのである。箴言として、神は細部に宿る、などという。時おり言われることがある。のは、だからなのかもな、と思った。想像以上に細部というのは切り落とされる。つまり、見逃される。でも、ある。間違いなくある。影響だって実は切り落とされていない。認識からは欠落してしまう。のだけど、存在しているのは確実であり、影響しているのもほぼ確実なのだと思う。見えにくく、でも、影響は与えている。だから、たとえ対象が、同じ、に見えても、まるで同じではなく、細部が違い、ゆえに、気付きにくい、けど確実な、影響、があり、決定打に繋がりやすかったりもする、ということなのかな、なんて考えてみた。同じ、と「看做せるところ」は、やはり「わかりやすいところ」なわけで、凡庸で平坦な可能性が高く、決定打にはなりにくい、ということなのかもね、という推理が背後にあることは付記しておこう。勘違いの可能性はある。例外の可能性はもっとあるだろう。概観がすでに特異で、細部どうこうではなく、決定打に繋がりうるもの、というのは、ありうると思う。称賛に値するものだろう、とも思う。