社会的、生物的、な選択は、わりと近似する、ので、あえて逆も行ってみよう

▼言ってしまうと、思考という機能において普段はあまり称揚されていないように見えるところ、も、鍛えよう、鍛えたい、とかぼんやり考えている、のだと思う。無論、思考には限界も無茶もありうる。と知ってはいる。思考は何でもアリ、ではない。だから、効率を重視し、有益を重視し、排除してしまう機能がある。軽視してしまう機能がある。余計と判断し、普段はあまり顧みられなくなる領域や方向がある。というあたりも、顧みておかねば、と思っているのだ。短期的、短絡的、な、利益、だけが、すべてではあるまい。