世界は称賛に値する

日記を書きます

定義と判定のバランス

▼情緒的な文章が書きたい――情緒的な言葉が書きたい。なんて思った時点で――なんて書いた時点でもう「情緒的」ではなくなってしまうんだろうな、なんて考えていた。情緒の定義は何なのさ、という問いも浮かんだ。が、対象物を見て「情緒的かどうか」綺麗に判定できるのなら、あえて定義をはっきりさせる必要なんてないんじゃないかな、とも思う。無論、揺らぐ可能性は高まる。判定は曖昧になりやすくなる。だから「問題」は「ブレを許容できるかどうか」として現出するのだ、とも考えた。起床は午前8時半。陽光は穏やかで、明るくて、風も心地好くて、思わず笑顔がこぼれてしまった。好きだなあ、と迷いなく言えた。結構珍しい。現状目標は『記憶の中にいる「しっかりしていた彼ら」に負けないような隙の無さを獲得する』で、週間目標は『朝の間にその日の最適解を思い浮かべて、その最適解を実現するためにすべきことを2つ列挙する』だ。刻め、と思う。