世界は称賛に値する

日記を書きます

結婚とあえて言う理由

▼わざわざ結婚という形式で語る必要があるのか、という指摘が世界には時おり存在したりする。前述した文章にも適用できるものかもしれないな、と思った。ゆえに、視野が狭いなあ、と反省させられた。なんで思いつかなかったのだろうか、という反省である。と同時に、おのれの持つ『結婚』概念の適用範囲もいくらか再認識させられたのだった。結婚という言葉によって私が想起してしまうものは、そのほとんどが法的なものではないようである。あくまでも、結婚式、とか、入籍、とか、あなたと一緒に暮らしていくぜという決意、とかの『環境と精神の変化をまとめたもの』をそう呼んでいるだけで、結婚という言葉をあえて使用しなくたってもちろんかまわないのだけど、ほかにそういった状況をひと言で表現できる言葉がないため、妥協案として結婚という言葉を使用している、というわけだ。結婚の法的側面に関する知識が少ないせいだろうなあ、なんて想像している。