優しくあろうと決意している人

 疑念を乗り越え信念として『優しくあること』を掲げている人、は、優しくあることを当然のものだと盲信してしまっている人、と違って、優しさというものの基盤が不安定かつ不明瞭であることを突っ込まれたりしても、簡単に揺らいだりしないのだろうな、と考えている。きちんと疑念を乗り越えてきている以上、すでにそんなことは織り込み済みだぜ、と思えるはずだからだ。無論そんなことはわかっている、それでも俺はそれを信じることにしているんだよ、と言えるはずだからだ。逆に言えば、信念だなんて口にするのならばその程度の疑念はきちんと乗り越えてから言ってくれ、と思っているのだ。優しいということをきちんと見据えることなくただシンプルに心根が優しい人、よりも、優しさという空間をきちんと把握した上で『優しくあろう』と決断している人、を、比較的好んでしまうのは、その『揺るがなさ』に価値を感じているからなのだろうな、と思う。