世界は称賛に値する

日記を書きます

したいからする、したくてもしない

 こうしたいと感じている。こうしたいと考えている。だから『それをしない』という道を選択するのには納得のいかなさを感じてしまう。ゆえに、私はそれをする。というような思考を経て、ある行動を選択することはわりと多い。だが、その行動理念が、優れたもの、だとは決して思わない。こうしたい、と私に感じさせるものが、常に大層なものだとは限らないからだ。常に価値あるものだとは限らないからだ。唾棄すべき惰弱、が私にも確実にあって、それが『こうしたい』と感じさせたりすることもあるからだ。比較的『唾棄すべき惰弱、ではないものが、こうしたい、と感じさせてくれる』ことのほうが、私の場合は多いように思える。だから、こうしたいと感じているからこうする、と決断できることも多い。でも、弱さが保身のためだけに、こうしたい、と感じさせていることもやはりあって、もしその状況に陥ってしまったら、こうしたいと思ったことをするのだ、という行動理念なんてあっさり無視してやるぜ、という覚悟を決めていたりもするのだった。