好きの無限後退

 思い浮かんだのは、てんてこまい、と、てんやわんや、という二種類の言葉だった。忙しかったからだ。出勤時刻は午後2時だった。黄昏時を迎えるまでは、比較的、と言うのもはばかられるほど、暇だった。余裕だな、と考えてしまっていた。のだが、平日なので通勤帰りの会社員が湧き出してきたのだろう――午後5時を過ぎた頃から、明らかに客数が増していったのだった。スタッフ数が不足していた。というのも、妙に忙しさを感じてしまった理由の一つだったのだろう。が、無茶苦茶でどうにもならない、というほどではなかった。適度に忙しかった、と言っていいだろう。そして、適度な忙しさはなかなか楽しいものだ、と考えていた。休憩時間には高田明典著『世界をよくする現代思想入門』を読んでいた。まだ序盤だ。基礎付け主義の問題、ミュンヒハウゼンのトリレンマ、あたりから、ヒュームの懐疑論、あたりまでが印象に残っている。哲学が好きだから、科学というものは『自然は均一なのだ』という無根拠な命題を前提としている、ということはすでに理解していた。その認識を改めてなぞりながら、こういう思考ってやっぱりおもしろいなあ、なんて考えていたのだった。根拠を求めていくと無限後退してしまう思考があるのだ、ということには、自分の『○○が好きだ』という感覚について考えていたときに気づいたのだと思う。好きだ、という気持ちも、きちんと問い詰めていくと、どんどん深みにはまっていってしまうからだ。好きというのはわりと無根拠なのである。好きだと感じてしまうから、としか言えない。だが別に、淋しいことだ、とも、虚しいことだ、とも、思わない。たぶん、別のステージで、好き、に価値を感じられているからだろう。