世界は称賛に値する

日記を書きます

正当化大好きをきちんと見つめて

 誰も彼も自己正当化が好きすぎるだろ、と考えていた。結局のところ人間はみんな自分を正当化するために生きているんだ、という極論すら言えるんじゃないか、なんて思ってしまったくらいだ。たとえば人間が『生きている意味』なんてものを求めてしまいがちなのも、それがあれば自分の人生を正当化できると期待しているからだろうな、と思う。無論、単純明快な『生きている意味』なんてものは存在しないのだと思う。が、もしも『生きている意味』なるものが存在するのなら、それが与えてくれるものは、こういう意味があるから私はこれでいいのだ、という『許可』だろう、と思える。つまり、意味が『正当化』の根拠になるわけだ。別に、正当化大好き、に、悪を感じているわけではない。しかし、欲望は自覚できていないと視野が狭くなる。その愚昧は気に喰わなかったりする。