世界は称賛に値する

日記を書きます

つまり意見を下等化することにより

 要するに私は、欺瞞によって相手の意見を『下等なもの』に変換し、どうでもいい意見なのだ、と自分に錯覚させ、錯覚させることで痛みから逃げて、成長の機会を自らの手で放棄してしまう、という構造に、醜悪と効率の悪さを見ているのだな、と思った。人は自己正当化する、ということに対して、醜悪や効率の悪さを感じているわけではなかったわけだ。ただ、そういった傾向があることを自覚すると欺瞞から逃れることが容易になりそうだ、と考えていたのだろう。まとまった、つもりだ。が、油断は禁物だよな、と思う。