他者の声 実在の声(野矢茂樹)

他者の声 実在の声

他者の声 実在の声

P.218

 ひとつの思考実験をしてみたい。
 君が、望みうるかぎりのことを望みそれが現実のものになっているような人生を考えてみる。愛情、富、名誉、なんでもよい。不老長寿? そんなものが欲しいのか? まあ、いい。あげよう。苦労と安楽のほどよいバランス。なんか、ずいぶん苦労人ぽい要求だが、あげる。なんでも。で、それら望むものを手に入れたら、人生は無意味でなくなったか。いや、そういうもんじゃ、ないんだな。
 自分の人生が何かうまいぐあいにいってくれたらそれで消えてしまうような、そんな無意味さの気分というのは、つまり、いまの自分の境遇に対する不満ということだ。だけど、そんな世俗的な気分じゃなくて、もっと根本的にニヒリスティックな気分というものもあるだろう。とすれば、それはどのような人生の可能性を考えても、なおつきまとう無意味さだということになる。何が起こったって、どのみち無意味だ、そんな気分。そのときそれはたんに現実のこの人生に対する無意味さではなくて、人生のあらゆる可能性に対する無意味さの気分ということになる。