まどろみ消去「心の法則」(森博嗣)

まどろみ消去 (講談社文庫)

まどろみ消去 (講談社文庫)

 モビカ氏の「心の法則」とは、精神の機構に関する彼の理論の総称であるらしい。実は、「法則」ではなく、正確には「構成則」が正しいのだが、その語彙が私には馴染まないので、以前にきき直したところ、「まあ、法則でも同じようなもの」と彼は答えた。ハード的に言えばメカニズム、ソフト的に言えばアルゴリズム。そう、思考のアルゴリズムであろう。すなわち、人間の頭脳の中で生じる流れ、分岐の反応は、まったく乱数や確率的な要素を包含せず、正確な電気・化学反応であり、いわゆる人間性を持たない。往々にして自覚される「迷い」「錯覚」さらに「意識」といった実体のない症状は、肉体的な応力、熱、あるいは分泌物による障害である……、といった内容の、よくある話が基であった。
 モビカ氏は、これを逆に利用し、肉体的行為を基本とした制御活動によって、障害を意図的に誘発し、「錯覚」を起動させることが可能であると論じ、この行為を「逆感情」あるいは「精神場の変換」と呼んでいた。精神の座標は肉体であり、不動の点を、座標の歪みによって見かけ上、動かすことができる、という理屈らしい。以前に会ったとき、モビカ氏は、この手法を自ら訓練中だ、と話していたのである。

 ここで書かれた『法則』と『構成則』の差異が最初読んだ時は掴めなかった。が、今ならば多少はそこにある差をイメージすることができる。違うものとしてそれらの形を描くことができる。いつの間にか私はそういう変化を遂げていたらしい。これが成長だ、と認識したくなるのだが、そう認識することに躊躇も覚える。いまだ『成長』というものを定義しきれていないからだろう。それが『変化』であることは間違いない、と思える。しかし今の私は『変化』と『成長』のどこが違うのか、どこが違えば『変化』が『成長』になるのか、が、わかっていない。どういう『変化』を『成長』と呼べばいいのかがわからないのだ。つまり『変化』を『成長』に変える条件が曖昧なのである。だから『成長』という言葉を使うのに躊躇を覚えてしまう。とはいえ、それが好ましい『変化』であることは間違いない。もしかしたらそこに『変化』を『成長』に変える鍵があるのかもしれない。