世界は称賛に値する

日記を書きます

無駄でも、それでも

 最終的には無駄になるんだから今がどうであれ結局無意味じゃないか、という発言が嫌いだ。破綻しているというわけではない。貫けるのであれば、それもまたひとつの真理ではあると思う。どうせ糞になるだけなんだから何食っても一緒だろ、とか、どうせ死ぬんだから頑張ったってしょうがないじゃん、とか、そういう意見に対して、そうかもしれない、と思わないわけではないのだ。けれど、それを無意味だと感じさせない感情というものが私たちにはあるじゃん、とも思うのである。楽しいとか悲しいとかの感情が、もしかしたら身も蓋もないのかもしれない人生に、彩りを与えてくれる。それは間違いないところだろう、と思うのだ。それゆえ、そういったものを持ちながら、そのことを視野に入れていないような、愚かな意見が気に喰わないのである。もっとちゃんと見てればそんなこと言えないだろ、と思ってしまう。要するに私は馬鹿が嫌いなのだ。だから、感情を本当に持っていない人がいて、その人が「ただ淡々と存在し変化しているだけのこれ(自分を含めた自分のまわりにあるすべて)なんてどうでもいいよね。最後無くなるし」と言うのなら、それは問題ないだろうと思う。確かにそう思うしかないよな、とさえ思う。