世界は称賛に値する

日記を書きます

▼視野の狭さに気づいた、ので書いておこう。考えてみれば、おもしろい、というのは紛れもなく主観的な判断であり、つまり《人によって評価は違う》わけだ。前提として、それを忘れてはならない。言い換えればそれは、読み手側の感性的特徴もまた評価に影響する、ということだからだ。たとえば《子ども時代》が心の底から楽しかった人は《子ども時代》というものに輝きを感じていて、その時代を舞台にした小説を、ほかの人よりも楽しめたりするだろう。その人の経験が――経験が紡ぎあげた感性が、評価の核心になるというのもまた、当然のことなのだ。ということまできちんと視野に入れれば、ひとりの小説家が書くものの、あるひとつがおもしろくて、別のものはおもしろくない、という事態についても、知性だけが問題になるわけではないことがわかる。確かに、知性がリズムを持っていて、それが、ひとりの小説家の作品を、傑作と駄作を分けたりすることもあるのだとは思う。しかし、たとえ同じレベルの知性によって書かれた作品であっても、受け手の感性によっては、描写されているものが原因となって、おもしろさは変化するのだ。