世界は称賛に値する

日記を書きます

ボードゲーム雑談(別アカウントつくった)

▼▼日本ではボードゲームは現状あんまりメジャーじゃないところがあって、マイナーやニッチという言葉が冠されがちだったようなのだけど、インターネットや動画配信という新技術による後押しなんかの影響も少しずつあって、昨今、若干、伸びてきている、というような話は、聞く。実際に市場規模も増加しつつあるようだ(ここ5年で4~5倍になったという統計がある)(とはいえ、ようやく「犬用ガム」と同じレベルに並んだー、というツッコミが出てきたくらいの規模ではあるのだけれど)。
▼▼世界全体でも市場規模が伸びつつある、という話も聞くことがあって、え、そうなんだ、なぜだ、と思ったりもした。日陰気味だった日本で陽の光が当たり始めた、というならともかく、人類全体がボードゲームに寄っていっていることの理由が、あんまり思いつかなかったのだ。
▼▼というか、いわゆる「コンピュータなどの電子機器の普及が、人と人との繋がりを薄めたため、反動として、直接、言葉と顔と肌の触れ合う、緻密で繊細な情報量の、非電子ゲームが普及、し始めたのでは」っていうような、俗説、言説が、もしかしてちょっと信憑性あったりするんだろうか? と疑ってしまったのだった。時代性の「反動」パターンはわりと疑ってかかってしまう癖があるので、あんまり疑わないほうがよいのかな、と反省し始めたのだった(反省したほうがよいのかなと考え始めた次第だ)、まあでもともかく、直接相手プレイヤーと対面しながら頭と手を動かす、っていう感覚、確かに、ボードゲーム的楽しみの一つとしては、ある。けっこうな特色として見ることはできる。というあたりがツボに嵌まっているのかどうか、自覚としては不明瞭なのだけど、まあ相変わらずボードゲームには嵌まっている。好きだ。


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▼▼好きが昂じたのでボードゲーム用のアカウントを作ってみた。仮運用としてしばらく試していたのだけど、区分けしている状況、けっこうよさげだなー、と思えたので、今後は仮じゃなくてよいか、と今回思った。
▼▼日記としての「ボードゲームで遊んだ記録」については、これまで同様、こちらに書く形でよいかな、と思っているのだけど、詳しく細かく書く場合は別媒体があってもよいのでは、とも思った。現状だと、ブログサービスを使うか、SNS的なボードゲームレビューサイトを使うか、を選ぶ雰囲気かな。


▼▼あんまり沢山はオフラインで遊ぶ会に参加したことがないのだけど、ボードゲーム会は催してみてもよいな、という気持ちに最近はなる。というくらい好きで、けっこう珍しいくらい好きになっている気はする。遊んでみたい人と楽しんでくれそうな人がまあまあいそうなところも後押ししている。

硬ければ真面目で、真面目なら未熟でも

▼▼数年前の文章を読み返した時なんかに、文章内思考が比較的浅はかで安易なところで立ち止まってしまっていたとしても──現時点の進行段階で読み直すと「いやもっと丁寧に続きまで考えろよー」と思ってしまうようなものであったとしても、ある程度は硬質な文章であったもののほうが、まあよいけどね、と許容する気持ちになれるところがあると思えて、逆に、巫山戯ていて、おちゃらけていて、軽薄な雰囲気の文章だった場合、なんか駄目だ、と思ってしまう割合が増えるようにも思えて、たとえ思考が浅くて甘くて温くても、真面目なスタンスならば許し、でもって、真面目であるかどうかを硬さと緩さから読み取っている、というような習性が、やはりあるのだな、と、今回、改めて思った(ンな単純な読解法でいいんスかね?と思った)。

おしなべてモドキ

▼▼××モドキ、というような名称を付けられた動植物が時々いたりする。道具や料理なんかの名称として使われている事例はあんまり見ないかなあ。
▼▼モドキを付けるだけのネーミングは流石に粗雑すぎるだろ、サボりすぎだろ、なんて思ったりもしたのだけど、改めて考えてみたら、人間の認知機能というのは、すべて、未知の物事を既知の情報を使って「××モドキ」として認識しているんじゃないかな、って気もしたので、モドキ、というところに重心を置いて名付けようとしてみせるのって、むしろ正当なのでは、妥当なのでは、って気もした。

絵描きの目の不思議

▼▼錯視画像を使って「目」で遊ぶのがだいぶ好き、と言えるのだけど、絵が描かれ、出来上がってゆく過程をじっと見つめているのも、最近は好きになった。沢山の線と模様と色にしか見えていなかったものが突然「絵」として立ち上がってくる瞬間の、ぶわっ、とした変貌や変質、異化、にも、たまらない楽しさや美しさ、凄さ、があるな、と思えるようになったのだった。目の不思議がここにあるの、気づくの遅れたな、と思っている。この「転換」感覚に気づくのが「絵」が上手くなる秘訣なんだろうな、とも思った。

終わった職場の送別会

▼▼以前の職場の送別会だった。相変わらず順調に順当に淋しかった。足場にかける重みの強さは次第に弱く(するように)なってきている感覚があるのだけど、変質するほどには、まだ、変わっていないようだ。消えたり失ったりなくしたりした時に引く線の濃さは相変わらず似たようなものであった。


▼▼喪失的な事柄に対するスタンスによって人生観や行動理念がおおきく異なることがかなりある、と思ってしまうことは多くて、と同時に、人格や性格において「相手と異なるほどに気になってしまうところ」の代表格がここな気がする、なんて思ってしまっていることも多い。多い気がした。
▼▼人格や性格、人生観や行動理念、の異質さにおいて、異様に気になってしまう──妙に過敏になってしまう──軋む音が響き渡ってしまう、というようなところと、違いがおおきすぎるせいなのかそもそも互いが接近しない形状や動作をしているのか、特に摩擦も抵抗も発生することなく、潤滑にというよりはほぼ関わらないまま、ぜんぜん気にせずに済んでしまうところ──互いが互いの違いに意識が向かないところ、というようなところがあるかと思っていて、前述した「喪失的な事柄に対するスタンス」というのは、けっこう「異質であることを気にしてしまう」雰囲気を持っているよなあ──持っているような気がするけどなあ、とか思わされていることが多かったりするのであった。


▼▼喪失や別離において、こだわる派、引き延ばす派、後悔する派、名残惜しむ派、引き摺る派、あたりの精神派閥、と、諦めたり、無視したり、捨てたり、意識的に前を向くようにしたりしてみせる、ような精神派閥、と対置させられるかな……。互いに互いが「そう扱うべきじゃない」と感じてしまっている? とか思ったりはする。互いが互いに、軽んじられているような気持ちになってしまうんじゃないかな、と思ったりもする。
▼▼互いが異なるやりかたを取っていた時に、なぜか「じぶんのやりかたが軽んじられている」かのように思えてしまったり、なんとなく「じぶんのやりかたが間違っている」と暗に攻められているような気持ちになってしまったり、する、ような「攻められていると思ってしまいやすい過敏な精神種があるんじゃないか、なんてふうに思ったりすることがあるのであった。
▼▼でもって、喪失関連ってけっこうそれが顕著な気がする、と思っている。
▼▼継続と放棄、足掻くのと諦め。喪失に対する抵抗と受容。というのはまあ、死生に繋がる話にもなるかと思うので、死生に過敏になるのは当然かも、って気もした。

JELLY JELLY CAFE池袋店で遊んだ

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▼▼一週間前にボードゲームカフェ「JELLY JELLY CAFE」池袋店に遊びに行ってきた。同じ日に別のところでボードゲームをしたこともあって、その日遊んだものについては書き切れていなかったので、備忘と記録のため、改めて書いておく。愛称ジェリカフェ池袋店に行ったのは初めてだった。渋谷店には以前に行ったことがあった。
▼▼ボードゲームカフェはほんとうに昨今増加中だ。新規開店が連続している。いろいろ開拓してみよう、という意識も最近は強めである。わくわくしながら遊べる場所が増えるのはありがたい。ボードゲームができる空間が増えるのもありがたい。遊んでみたいゲームが沢山並んでいるのは幸せだ、と思える。今回のジェリカフェ池袋店では、相席ナシにして貰って(最初に選択できる)友人と二人で遊んでいたのだけれど、相席アリを選んで未知の人と遊ぶのもなかなかの幸せっぷりである。前回の相席は楽しかった。まあいずれは失敗談なんかも出てきそうだけど、今のところは素直に楽しめいたりする。▼▼『バトルライン』→『ロストシティ』→『インシュ』→『タギロン』→『グリュックス』といった順番で遊んだ。珍しくけっこう勝てた気がする。好調だった。

バトルライン

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▼▼九つの戦場にカードを順番に置いていって、ストレートやスリーカードを作ることで勝敗を決めて、多くの戦場を奪ったほうが勝ち。滅茶苦茶よいゲームだな、という認識を改めさせられた。今回に限って言えばカード運がよすぎて勝てた気もしないではない。






ロストシティ

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▼▼傑作との話は聞いてはいたけれど遊べたことのなかったゲーム。五つの探検路にちいさい順にカードを置いていく。一回置き始めたらある程度の枚数は置き切らないと失点になるのと、捨て札が共有かつ回収可能なところが、大変素敵なメカニクスだ。傑作。






インシュ

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▼▼オセロと五目並べを混ぜたようなゲーム。ギプフプロジェクトと呼ばれるシリーズの中の一作品で、中でも評判がよい印象だ。オセロと言ってよい感触か微妙だけど、特殊なコマが、連続したコマを飛び越えて、裏返せる、というアクションは心地好かった。






タギロン

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▼▼相手の持っている数字5つを当てるゲーム。質問カードに描かれた質問を選び、相手に回答を貰いながら、当てていく流れだ。質問カードの出来というか調整がほんとうによい。なんかぎりぎり判りそうだしぎりぎり当てられてしまう。頻繁に遊んでいる。






グリュックス

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▼▼部屋に灯りをともす、というフレーバーがある。サイコロのように「1と6」「2と5」「3と4」が裏表になったチップを置いていく。チップを置けるのはチップに描かれた数字の距離のところだけであり、得点になるのもチップの数字、というバランスが秀逸。