やられたくもない
どう見ても舐めているように見える。軽んじてふざけたり茶化したりしているようにさえ見える。だから、そんなやつの話は聞く必要なんてない。まともに取り合う必要はない。けれど、実は、本人は、ちゃんと真剣なのかもしれない。いまやれることをやれるだけせいいっぱいやった結果がそれなのかもしれない。どうにも届かない境地が、とうぜん誰にだってあって、そういう限界の中で、がんばって、真剣に、やっている。そういった真摯な気持ちが、安易な偏見の壁に阻まれて、正しく届かないのは、とても悲しい。
というような振る舞いを、とってしまっている場面があるんじゃないかと、ときどき怖くなる。だれかが語った真摯なことばや、まじめに向き合っておこなった拙い行為を、頭ごなしにはねのけてしまっていないか、たいへん心配になる。そして同時に、自分がやられたときのことを考えて、ほんとうに怖くなる。そんなことをひとにしたくないな、と言いたくなる気持ちの裏側に、そんなことぜったいされたくないよ~、という巨大な恐怖が広がっているのもわかる。
ここはたぶん、順序が逆のほうが(やられたくないなと思うし、なにより、ひとにやってしまいたくないな、と思うほうが)"美しい"気もするけれど、実際そうならしょうがない。まじめにこの順番なんだと思う。根本を追っかけていくなら、自分がやられたくない話だ。まあでもいいか。