世界は称賛に値する

日記を書きます

名作に出会ったあとどうしたらまた名作に辿り着くのか

▼▼感動!感激!したような時に、同じ「媒体」であることを手がかりにして「同じ感動や感激との〈次〉の出会い」を探そうとする行為って──同じようなものが、同じ媒体を巡ることで、見つかるだろうと、楽観するのって、なんか、頭の働かせかたとして、素敵なのかなあ──妥当で効果的なのだろうか、と、一昨日の日記では考えたのだけど、とはいえ、同じように、作り手に還元して〈次〉を探すのも、テーマに還元して〈次〉を探すのも、どうなんだろ、って少し思った。
▼▼というか、特に、歌、については、前述のような疑問を以前から思っていたのを思い出した。ある歌に対して、好きだ!と思った時に、同じ歌手が歌っている「次の歌」に向かうのは、アリ、なのかなー。
▼▼歌手ごとにたいてい一曲くらいは「極めて好きな歌」があったりするし、逆に、特定の歌手の歌の、大多数が好き!という事例というのも少なかったりもする。ので、なんというか、歌手、というものを道標にしていくのって、違うんじゃないか──見るところが違うのではないか、と思ってしまっているところがあったのだった。可能性の話をするなら、もちろん「出会いはありうる」んだろうけど、なんか、無意識でランダムな出会いと比べて、期待値に違いを出せたりするんかなー、って疑ってしまうところがある。歌手ではなく、作曲家や作詞家に目を向けたらまた変わるところもあるのだろうか。
▼▼素材や要素、テーマ、などを道標に〈次〉を探す、というのもあるか。例えば、タイムリープ物が読みたい!みたいな切り口だ。▼▼なにかは手がかりにしないと、〈次〉を探す、って行動はできないからなあ、とも思えてきた。作家を、歌手を、作り手を、気にしたところで、同じような出会いが得られるとは限らない、という世界観のもと、偶然の出会いばっかりに頼っていても、それはもう、探す、ではない気がする。素直に考えて出会う確率下がりそうな気もする。
▼▼思考開始の契機を思い出したけど、天才的作品を創り出した天才が、次にもまた、天才的作品を創り出すことを、期待していいのか?という疑問がぼんやりある。

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