世界は称賛に値する

日記を書きます

集合論的に隙のおおきすぎる名付け

▼▼議論というか騒乱のようなものを眺めていて、うーん、これってつまり呼びかたというか、呼び名、名前、名付けの問題だよなー、名前が判りづらすぎるせい――境界線や定義が曖昧すぎるせい――そもそも名づけた人の感覚が甘すぎるし雑すぎるせい、だろう……、なんて時々思う。▼▼勘違いが出てきやすくなってしまう名、というのが沢山ありそうだ、と改めて思う。
▼▼ファンタジー、という言葉が如何なるものを指し示すのか、そしてファンタジーとサイエンスフィクションの違いは何処にあるのか、はたまた、異世界ファンタジー/ハイファンタジー/ローファンタジーとは何か、というような問題群を眺めながら、このあたりは名前が悪すぎる、って考えていたのだった。


▼▼携帯電話をケータイと呼んでしまうような――USBメモリーをUSBと呼んでしまうような――ドラクエをロールプレイングゲームと、ポートピア連続殺人事件をアドベンチャーと、信長の野望をシミュレーションと呼んでしまうような――おかしな(言うなれば不可逆圧縮的な? というか、集合として見た時に隙のおおきすぎる、と言えるかな)名付けは、幼い頃から、あんまり好きじゃない、と思ってきている。


▼▼ある物事達にジャンル名が付けられる時、その名で呼ばれるようになるであろう対象物達、から、少しはみ出る可能性を持つ(ほかのところまで含めてしまうような、範囲の決めかたが雑な)名前が、なんとなく付けられてしまって、そのまま時間がたってしまった場合、のちのち、そのジャンル名を使って誰かが何かを語ろうとしたような時に、「おいおい、その名前が意味するところを真っ当に捉えたらこのへんまで含んじゃうじゃねーか」「このあたりにまでその語りが届いてしまってること判ってんの?」「その言葉が示すところぜんぶにそういう解釈を向けるのは、無茶というか誇張というか風評被害というか、流石に言いすぎになっちゃうだろ……」なんてふうなことを言われかねなくなる、可能性が高まる、という構造に対して、うーん、って思ってしまうのだった。