世界は称賛に値する

日記を書きます

ここに置ける言葉、置けない言葉

▼▼歌詞、を思いつこうとしたら、楽曲に制限を受ける。曲の上に乗せられる言葉を選出してゆく。短歌や俳句や川柳による文字数制限などでも同じだろう。気ままには言葉を選択できない状況が出来る。▼▼っていうの、素敵だなー、って気づいた。
▼▼じぶんが出せる言葉が、出せなくなる。却下される。時に、自ら却下する。しかし時には引き出されたりもする。じぶんに出せるものを見つめながら、同時に、言葉が出せなくなる枷も見つめつつ、言葉を行き来する、という行為って、楽しそうだ。普通じゃない言葉や自然じゃない言葉のうえで、ごろごろ遊ぶ。


▼▼書く場所を変え、文章の趣を変える、というような空気の変質によっても、脳内の枷が変わってくれて、同じような「遊び」の気分が出せたりするのかなー。楽しめそう、なのでは?って思った。最近はネット上に文章を置ける場所も沢山あるし、いろいろ試してみてもよいんじゃないだろうか。はてな以外じゃあんまり遊んだことないし。


▼▼適切な言葉を丁寧に選んでいく遊び、ってふうに言えば、普通に文章を書いている時にも同じことが起きているかと思うのだけど、音楽の乗せたり文字数制限が見せてくる「枷」ってそれとは少し違う感覚があるのだった。意味的な制限と物理的な制限の違い、と言えそうかな。