世界は称賛に値する

日記を書きます

無いがわかる(?)

▼▼人類は言語を得たことで「無い」ということを想像の範疇に落としこめたのだ、っていう話を聞くことは、沢山あって、正直、滅茶苦茶強く納得してしまってたのだけど、類型や経験をいったんは疑っていく哲学的な懐疑スタンスで行くのなら──好きならば、ここもあやしんでみてよいだろ、と思った。言語があろうとなかろうと人類は「無い」ということが理解できる生理を持っていたのでは?