世界は称賛に値する

日記を書きます

満ち足りモスコミュール

▼▼池袋で酒を飲んだ。モスコミュールばっかり飲んでいた記憶だ。別に特別好きでも合うんでもないのだけど、モスコミュールは頼みがちである。なぜ頼みがちになっているのか、判断の枠組みおよび過程は謎である。無意識に好きなのか? 妥協や折衷の結果なのか? 好きとか嫌いとかじゃない何かの判断があるのか? でもって、最近は飲み会がなんとなく減少中だなと思っている。おそらくボードゲーム会に変換しすぎなのだ。選択が可能ならボードゲームで遊べる場を選ぼうとしがちだし、企画の内容に手や口を出せるならボードゲームに寄せがちだ。まあでも、うーん、シスギ、って言うほどでもないかなあ……。あと、飲み会よりも遊び会のほうが素敵だろう、というふうに見做すこともできる気はしている。▼▼ボードゲーム会を開催すると、遊ぶことが楽しすぎて──遊ぶことに夢中になりすぎて、言葉を交わす量が減る。会話が減る。対話が減る。というふうには思うところがあって、相手の人生の話を聞ける量が減ることは、望んでない気もするし、いやしかし会話や対話よりもわいわい笑え合えていることのほうが素敵じゃん? という気持ちもあったりする。理解や納得、参考意見、などより、雑談や歓談、笑顔のほうを優先する、という方針は、アリなんじゃないの? というようなところにある悲喜交々や良し悪しを綯い交ぜにしつつ、しかしともかく、飲み会は、楽しかった。楽しかったと言える記憶だ。満足感や充足感のなさ、物足りなさ、の話が、けっこうおおきく出てくる場面が多くて、まあ共感も賛同も、シンクロも、できるところもあって、この付近の話が最近はほんとうに難題になってきてるな、っていうことを、改めて思った。▼▼満ち足りた人生って、難題だ。でも、可能なら寄せていきたいな。寄せるための話もしたい。意見と意見の噛み合いが満足を生むなら、よいな、と思う。