世界は称賛に値する

日記を書きます

メモについて(メモの進化形の日記?)

▼▼閃きキーワードメモ、を頼りに、記憶が薄れた頃、改めて同じ感覚を再構成しようとしてみても、細部に微妙な違いが出来てしまうせいか、結局は、若干異なる匂いのものが出来てしまう──少し異なる地点からの風景が完成してしまう。望む形状に膨らませられない。扱いが下手だー苦手だー。あたりのことについて改めて考えていた。
▼▼ぜんぜんうまく膨らませられないな、なんて思いながらやってたら、最近になってようやく、少し、うまく膨らませられることが増えてきた気がするからだ。苦手や不得手を踏まえながら──諦めて調整しながら、やりくりしてきたら、若干、意図しないうちに少しコツが得られていたような気がした、のだった。若干の上達がうかがえたのだ。ので何処が変質したのだろう、という問いを持ってみた。
……
▼▼物体を立てる時に、接地面が三箇所あると、安定する。四箇所なら尚更だ。二箇所では極めて立てにくくなるし、一箇所だったら無謀に近いくらいの手管を要する。
▼▼というイメージで、閃きキーワードが三個ないし四個以上あると、感覚再現/感情再現が安定するのではないかなー、ということを最初に思った。

▼▼同時に、二箇所の基点となる位置と、二箇所から目標に向けての角度が判れば、目標の位置を算出できるぞ、という「三角測量」から来るイメージも思いついた。
▼▼二つのキーワードと、キーワードと実感の角度(あるいは距離?)のようなものを記録しておくことで、感覚再現/感情再現しやすくなるのでは? という発想だ。
▼▼角度を記録、っていうのは、閃きキーワードメモにおいては、キーワードの傾きを決めるための情報──注釈的な文章、みたいなものになるんじゃないかなあ、とかも。
……
▼▼前述した二つのイメージの中で出てきてるような「工夫」を、メモから発想を再度膨らませる時に、意識せずこなせるようになってきた、から、閃きキーワードメモを前より活かせるようになったのではないか? と発想してみたのだった。
▼▼膨らますのが少しだけうまくなった。失敗と調整の中で適切な力加減を学習できた。
……
▼▼っていう思考の裏側で、閃きをメモする時のキーワードの選定とかがうまくなったんじゃないの? っていうようなことも起こってるのかも、とも思えた。
▼▼最初の頃は、深く考えずに、単純に「閃きの中で一番目立ってる奴」ばかりに目を取られてメモしてしまうことが多かったけど、最近は、目立つのが常に基点になってるわけじゃないぞ、と学んで、ほんとうに屋台骨になっているアシスタントさんとかにまで目を配って「メモする対象」に加えられるようになった、んじゃないかなと思ったのだ。
……
▼▼ここメモしても無駄だわー、っていう諦めがうまくなっただけ、っていうような可能性も思った。どうせこれメモしても忘れるじゃん、っていう学びが重なって、ほんとうに核心的なので忘れたらマズそうで、かつ、メモしておくことでちゃんと大切にできそうなもの、ばかり、特選してメモする習慣が出来た。から、結果として成功体験ばかり続くようになった、という可能性だ。見極めがうまくなった、とも言える。どうせ無駄だと最初から記憶を諦めてもなんとかできるテクニックを得た、という言いかただってできると思うし、なんとかできるという認識が単なる慢心の可能性もあるだろう。
……
▼▼実はあなたの「閃いた時に、メモせねば、と思ってメモを取る」という習慣は、時を経て、このように「日記を書く」という習慣に取って代わられたのだ、って発想も出た。
▼▼あなたはこれまで気づかないでいたけれど、かつてのメモ習慣の延長線上に、この日記があるのである──メモが下手だ……、メモからうまく膨らませられない、という悔やみと反省が、無意識のうちにメモの長文化を促進し、そうして、いつしか、こういう「日記」として姿を顕すに至ったのだ、という思いつきだった。
▼▼最後の思いつきが、最も嘘臭いけど、最も楽しい感覚ではあった。