世界は称賛に値する

日記を書きます

ことばの恐竜(最果タヒ)を読んでいる

ことばの恐竜 最果タヒ対談集

ことばの恐竜 最果タヒ対談集

▼▼最果タヒの対談集『ことばの恐竜』を読んでいる。対談を読むのは好きだ。が、なんか噛み合ってなくない? と思えてしまうような対話を読んでいるのは「対談ってあまり好きじゃないなあ」とか言えてしまうくらい苦しくて、論点や論拠、問い、にまつわるズレやブレの無さを重要視しているのだな、と、改めて確認させられたりもする。調整や編集、削減活動によって、噛み合わせよりも円滑な流れが優先されたんじゃないか? というような「噛み合ってなさ」を妄想してしまうこともあって、苦手である。実際は比較的うまく噛み合っていたんですよー、と期待したがってしまうのだ。真摯で真剣な対話が実は噛み合っていなかった、ということがないほうがよい、と願ってしまうのだ。なんだか噛み合っていないぞ、という光景自体を忌避していると言える。うまく噛み合った「賢明かつ懸命な話し合い」が次の世界や段階を切り拓いてくれる……! みたいな期待と欲があるのだろう。誰かの真面目な発言に対して、下地や根源まで握りしめて欲しい──人の言葉は人様に握りしめてもらえることがある、と思いたがったりしている気もする。
▼▼最果タヒと二階堂ふみの対談が、噛み合ってないような気がするけど、と、ところどころで強く思わせられるのに、妙に面白くて──異様に言葉が鋭くて、なんとなく困りながら読んでいた。こういった言葉の鋭さが、実は噛み合っている話し合いの中で出てきているものなのか(けど編集で削られたので噛み合っていないように見えるのか)、あんまり噛み合っていない話し合いの中で──おのおのが言いたいことを言っている中で、出てきたものなのか(出てきてくれうるものなのか)、というのを、知りたがっているんじゃない? と思ったりもした。鋭い言葉の棲息地を探している、みたいなところはある。