世界は称賛に値する

日記を書きます

「聞く」だと、内側を切り開いてみせる挙動は、想像させられない

▼▼意味を解釈するプロセスにおいて、意味を見つめる、といった「見る」ことによる比喩は、有効だと思っているな、と思った、▼▼意味を聞き取る、意味に耳を澄ます、というような「聞く」による比喩を、相応しくなさそうに思っている、とも思った。
▼▼人の発言には意味があり、演奏された曲にも意味がある、のに、聴覚に響いたものから「意味を読み取ろう」とした時にも、聞く、より、見る、という言葉のほうが、なんとなく似合う気がしてしまっている、なんて思った。音声にも音楽にも「意味を見る」を使いがちだ。
▼▼音を「聞く」っていう行動には、内側を見る──内側を読み取る、といった挙動は含まれていないような印象がある、気がするのだよなー。音というものは、まず「全体」を取り込む、ということを前提や下地にしているところがありそう、というか……。だからこそ「聞く」という行動では内側や内部を曝けない、というか……。